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『翻訳の品格』刊行

 投稿者:中島章利(日ロ電脳センター広報)  投稿日:2012年 6月 9日(土)10時20分13秒
返信・引用 編集済
  ロシア思想史研究者・藤井一行が満を持して送る警醒の書
『翻訳の品格』(日ロ電脳センター刊)

●「先行訳下敷きを止めよ!」
●亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』に溢れかえる誤訳、奇訳の数々
●怪人トロスキー、『ロシア革命史』を”闇討ち”! 「トロスキー」とは一体誰か?
《寄稿 中島章利》
●羊質虎皮―光文社古典新訳文庫に進出したトロツキー翻訳
●盗訳事件、盗訳裁判の事例検証 ほか



B6版、並製本、本文308ページ。定価2.000円
発行 著者自家出版会
発売 日ロ電脳センター

※お問い合わせ、お申し込みは本記事の下段にある「管理者へメール」からお願いします。



内容の概略

 
東京外国語大学・一橋大学大学院で通算14年ロシア語修行を重ね、ついで30年間大学でロシア語教師として、またロシア思想史研究者として活躍してきた著者が、巷間に流布するロシア文学・思想の<新訳>を僭称する<先行訳下敷>現象にメスを入れる。

 米川正夫/中村白葉のロシア文学翻訳、内村剛介等 のトロツキー翻訳、ミリオンセラーになった亀山郁夫のドストエーフスキー<新訳>に潜む奇訳・珍訳を剔抉!

《寄稿論文 「精神的生産における製造責任を問う」 中島章利》

翻訳=精神的生産の製造物責任を鋭く問題にした力作。
杜撰な翻訳、ロシア語からの「新訳」を僭称する<偽装新訳>を暴き、訳者、出版社の<製造物責任>を問い、翻訳出版のあり方に再考を促す!

 光文社古典新訳文庫・トロツキー『永続革命論』、『レーニン』などにおける翻訳偽装/「亀山郁夫『週刊新潮』弁明」を批判する/盗用を指摘され市場から回収された今井幹晴訳『モノここに始まる』/法廷で盗用を認定された藤田宣永訳『サンジェルマン殺人狂騒曲』/「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった 」は著作物ではない?

目次

はじめに
 
第一部ロシア文学〈改訳・新訳〉にひそむ不可解現象
  第1章 奇々怪々〈亀山現象>
       ──亀山郁夫氏のドストエーフスキー〈新訳〉を読む
  第2章 高名ロシア文学者たちの不思議な訳業
  第3章 望月哲男訳『アンナ・カレーニナ』
       ──ロシア「翻訳賞」受賞作への若干の疑問

 第二部 岩波文庫版トロツキー〈新訳〉の虚と実
     『裏切られた革命』『文学と革命』『ロシア革命史』『わが生涯』
     第4章 トロツキーの著作が岩波文庫で刊行されるまで
  第5章 怪人トロスキー、『ロシア革命史』を“闇討ち”
  第6章 桑野隆氏の新訳『文学と革命』──内村剛介訳と比べる
  第7章 森田成也・志田昇訳『わが生涯』
       ──「ロシア語原典からの新訳」か?

 第三部 〈先行訳下敷〉は著作権侵害にならないか?
     第8章 〈先行訳下敷〉をめぐって
  第9章 著作物の「複製」=〈盗訳〉とは?

 第四部  精神的生産における製造責任を問う   中島章利寄稿
   光文社古典新訳文庫に進出したトロツキー翻訳
   ──森田成也氏、志田昇氏の訳業を斬る
  はじめに盗用・盗訳判定基準
  1)森田成也氏羊質虎皮、改竄と歪曲
  (2)志田昇氏の訳業

    翻訳出版の責任を問う

   
 盗訳事件、盗訳裁判、著作権解釈の事例検証
  ──富田徹男氏(岩波文庫『西洋事物起原』訳者代表)と安原幸彦弁護士の闘いを中心に

著者紹介

 藤井一行 (ふじいいっこう)
1933年生まれ。57年東京外国語大学卒、65年一橋大学大学院博士課程修了。67年札幌大学外国語学部助教授、72年金沢大学教養部助教授を経て78年富山大学人文学部教授、98年定年退官、同大学名誉教授。
主な著訳書:『新ロシア革命』(窓社、92年)、トロツキーの訳書『ロシア革命史』(岩波文庫、200001年)。『裏切られた革命』(岩波文庫、1992年)、『新路線』(柘植書房、1989年)など。

 中島章利 (なかしまあきとし)
1955年生まれ。北海道大学卒。美学・芸術論・翻訳研究に従事。
主な論文:「マルクス主義美学と芸術認識論」(83)、「ヘーゲル美学とマルクス主義美学」(86)、「『反映論』とマルクス主義」(87)、「マルクス主義と『反映論』」(91)、「吉本隆明『言語にとって美とはなにか』批判・序説」(02)(いずれも『札幌唯物論』誌所収)。「トロツキー 芸術論の可能性(1)(3)(『トロツキー研究』234号所収)など。


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『翻訳の品格』刊行

 投稿者:中島章利  投稿日:2012年 6月 5日(火)12時48分26秒
返信・引用
  このたび著者自家出版会というものを立ち上げ、出版第一号として藤井一行・中島章利共著『翻訳の品格/〝新訳〟にだまされるな』という書物を刊行いたしました。
 その内容については、下記HP(体裁・内容概略・目次・価格など)をご覧ください。
  http://book.geocities.jp/ifujii3/samizdat.htm
 

謝辞

 投稿者:Т-34-85  投稿日:2009年12月30日(水)18時06分41秒
返信・引用 編集済
   中島 様

 愚輩の方こそ斯かる場を御提示戴き、篤く御礼申し上げます。
 当初数回の書き込みで終了する積りが、書き始めたところ、田作(“ごまめ”とお読み下さい)の歯軋りか、迸る憤りの感情を抑える事能わず、ついつい駄文を連ねてしまいました。しかし、その後今日に至る迄、“亀山問題”を巡る状況に関して亀山氏本人の側からは、残念ながら何ら誠実且つ本質的な対応が為されていない様でありますね。
 流石は名門(?)有名大学学長、所詮は「金持ち喧嘩せず」とでも云う事なのでしょうかね。増してや愚輩が如き下々の雑魚共を相手にする暇は持合せていないと。しかし、たとえ田作の歯軋りと揶揄されようと、田作には田作の矜持と云う物が御座います。愚輩の駄文が寒心に堪えざる我国の斯かる文化状況に、些かであれ一石を投じる事に繋がればと願う次第であります。

 それでは、良いお年をお迎え下さい。
 

T-34-85様、ありがとうございました。

 投稿者:中島章利  投稿日:2009年 8月15日(土)17時37分35秒
返信・引用
  T-34-85様
 連続の書き込み、ありがとうございました。本年初めに書いていただいていながら、お礼が大変遅くなりましたこと、まことに申し訳ありません。
 ドストエーフスキィについて云々する力量はありませんが、お書きになっていることについてはうなずけることが多々あります。
 今後とも、書き込みのほど、よろしくお願いいたします。
 

拝啓 亀山郁夫様(その10)

 投稿者:Т-34-85  投稿日:2009年 2月 3日(火)10時37分4秒
返信・引用 編集済
   今仮に彼岸の世界からドストイェフスキーが現代の日本に舞い下り、貴方に相見えたとしたならば、彼は貴方に果たして如何なる言葉を投掛けるのでしょうか?書かれる事無く終わった(「カラマーゾフの兄弟」の)第二の小説に就いて想像を逞しくする以前に、貴方を取り巻く昨今の状況に鑑みれば、此の問に想いを致す事も強ち無意味では有りますまい。愚輩は今、次の様に想像致します: 彼は無言で貴方に近付くと、静かに貴方に接吻をし、そして夜の闇の帳の中に消えて行く。其の接吻は貴方の胸中に熱く燃え上がるけれども、貴方は矢張り以前の立場に留まり続ける・・・。

 亀山先生!どうか御自身の名誉を重んじて下さいまし。貴方の場合は御自身の個人的名誉のみならず、東京外国語大学学長と云う高い社会的地位に伴う名誉も懸っております。どうか木下氏やNN氏等の批判や指摘を黙殺する事無く、正面から向き合い真摯に誠実に対応して下さい。そして此の事こそが、此処まで長々と駄文を書き連ねて来た(呆け老人の領域に片足を突っ込み掛けている)愚輩の心から成る願いであります。

   В заключение я не скажу Вам "До свидания", а скажу "Прощайте", пока не перестали Вас звать самозванцем-авторитетом. Dixi!
 

拝啓 亀山郁夫様(その9)

 投稿者:Т-34-85  投稿日:2009年 2月 2日(月)10時26分21秒
返信・引用 編集済
   更に、宣伝文句に依れば、光文社古典新訳版の“売り”は「読みやすく、理解しやすい」点にあるそうです。一般論として言えば、その点に就いては愚輩も大変結構な事に存じますし、御題目としては「読みやすく、理解しやすい」翻訳に異議を唱える者は先ず殆無でありましょう。しかし思うに、ドストイェフスキーの作品(この場合「カラマーゾフの兄弟」)は本来「読みやすく、理解しやすい」代物なのでしょうか。この点で、貴方が出版社の(“売らんかな”?の)商業主義に流されて、ドストイェフスキー文学の質を損ねる事の無き様願うのみであります。

 例えば、かの有名な「大審問官の章」に於いて大審問官によって語られる露語が醸し出す雰囲気(並びに其の内容)は、もしも日本語に移すとしたならば、荘厳にして重厚な文語調の響きに依拠して伝えるのが相応しいと(化石老人と成りつつある)愚輩は思量致しますが如何。しかし、此処でも貴方は解釈・見解の相違と云う事で、恐らくはわが道を行かれるのでしょうね。斯くして、木下氏が指摘されている様に、「些細なことながら、このようなニュアンスの違いの積み重ねによって読者は少しずつ、しかし確実に原典から遠ざけられて行く」のでしょうか。 嗚呼!
 

拝啓 亀山郁夫様(その8)

 投稿者:Т-34-85  投稿日:2009年 2月 1日(日)11時27分16秒
返信・引用 編集済
   昨年、さる講演会に於いて、貴方は「映画を見るように、音楽を聴くように『カラマーゾフの兄弟』を体験してもらうことを心がけた」旨述べた、と伝えられております。映画と申せば、貴方が御覧になったか否かは愚輩の承知する限りではありませんが、大分以前の事、米国の映画資本(MGMだったと記憶しています)がドストイェフスキーのこの作品を同名で(とは言っても勿論英訳“The Brothers Karamazov”で)映画化した(1958年制作?)事がありました。残念ながらその内容は(ユル・ブリンナー演ずる所の、今流に言えばスキンヘッドのドミートリーは、まあ、御愛嬌だとしても)原作とは程遠いドタバタのメロドラマを提示するものに過ぎず、(未だ若かりし)愚輩は映画冒頭部分の表題にドストイェフスキー原作なる旨が厚かましくも表示されているのを見て、著作権なる物が最早問題にならない状況とは言え、斯かる所業は原作者に対する甚だしい冒涜以外の何物でも無いと、痛く憤慨した事を覚えて居ります。

 しかし翻って考えてみれば、光文社と云う出版資本の尻馬に乗って(又は乗られて)、誤訳・不適切訳を満載した翻訳を出版社と結託して何十万部と世間に撒き散らすとしたならば、その様な所業は上述の能天気な聖林映画資本の振舞いとその本質に於いて同列の物では有りますまいか。更に音楽に引きつけて言えば、ベートーヴェンの第五交響曲を薄っぺらな軽音楽に堕さしめるかの如き行為に成り果てる、と愚輩は存じる次第であります。
 

拝啓 亀山郁夫様(その7)

 投稿者:Т-34-85  投稿日:2009年 1月31日(土)16時59分23秒
返信・引用 編集済
   昨年来、貴方の光文社古典新訳文庫版「カラマーゾフの兄弟」の販売数が数十万部の域に達している旨のマスコミ等の報道に接した時、ドストイェフスキー文学の一愛好家として、愚輩も又正直言って喜ばしく嬉しい想いが致しました。然るに、その後NN氏等に依る検証作業の内容を知るに及び、愚輩は我が眼を疑い、唖然と致しました。此れが果たして“プロ”(と称される)研究者の手に成る仕事なのか・・・、と。

 人間に過誤は付き物です。如何に優秀な翻訳者と雖も、特に此れ程大部な大作であれば尚の事、幾つかの誤訳や不適切訳は免れ得ないでしょう。しかし貴方の場合はそんな水準を遙かに下回ります。愚輩程度の露語能力から見ても、お粗末の一語に尽きます。杜撰過ぎます。しかも、既述の通り、以降の増刷版に於いて指摘者並びに読者に対して何の断りも無く、秘かに該当箇所を訂正するに至っては、最早何をか言うべきであります。
 

拝啓 亀山郁夫様(その6)

 投稿者:Т-34-85  投稿日:2009年 1月30日(金)16時08分32秒
返信・引用 編集済
   ところで何故愚輩が本サイトで、貴方にとっても愚輩にとっても御世辞にも愉快とは言えない此の様な駄文を書くに至ったかと云う由縁に就いて、少々触れたいと思います。

 十代の後半で、愚輩は「カラマーゾフの兄弟」を始めとするドストイェフスキーの長編小説群を初めて読む機会を得て(勿論翻訳でです。確か米川正夫訳だったと記憶していますが・・・)、強烈な印象を与えられた事を忘れ得ません。音楽の世界に例えるならば、そう、丁度ベートーヴェンの第五交響曲を初めて聴いた時に覚えた様な感動でした。そして、これは何が何でも原典で、これ等の作品を読破してみたいと云う欲求に捉えられ、それが大学時代に愚輩が第二外国語として、露語を選択した最大の動機だったろうと思います。作品を原典(原語)で味わうと云う当初の願望は、その後何(十?)年かを経て成就する事とはなった訳ですが・・・。従って、そもそも露語なりドストイェフスキーなりに係わり始めた愚輩の経緯にはNN氏のそれと類似する物が有ると思います(尤も、愚輩なぞはNN氏の足元にも遙かに及びませんが・・・)。

 斯かる経緯を踏まえ、人間存在の深淵に迫る省察を動機付けて呉れた精神の巨人に対する拘り・想い入れから愚輩も又脱する事を得ず、その事がドストイェフスキーに対する不誠実で生半可な行為・態度に接した時、言いようの無い義憤・反発の感情を愚輩の中に呼び起こすのではないかと思います。
 

拝啓 亀山郁夫様(その5)

 投稿者:Т-34-85  投稿日:2009年 1月29日(木)17時11分16秒
返信・引用 編集済
   前信で触れた問題取組みへの誠実さと云う点に関して言えば、貴方に対して愚輩は大いなる疑念を抱くのを禁じ得ません。既に幾度も述べている様に、貴方には「カラマーゾフの兄弟」に関して、如何様な物であれ独自な解釈・見解を展開する事が許容されています。と同時に、一旦それが公表された暁には、(ドストイェフスキー研究の“世界的権威”と称せられる)貴方には己の解釈・見解に対する他者からの疑問・批判に誠実に応える責務が(他の誰にも増して)生じると思います。そして貴方に対する批判者との斯かる双方向的、建設的且つ真摯な議論を通して、ドストイェフスキー理解・研究の深化も又促進されるのではないのですか。

 然るに現状はと言えば、不勉強にして寡聞な愚輩は、未だに木下氏等による指摘・批判に対する貴方の誠意ある応答に接する事能わざるのみならず、NN氏等による、光文社新訳版に於ける誤訳箇所の存在の指摘を黙殺した上で、以降の増刷版に於いて秘かに該当箇所を訂正すると云う行為が為された事を聞くに至りました。事此処に至っては、愚輩は貴方の研究者としての誠実性・良心を云々する以前に、悲しくも、正に貴方自身の人間性・人格を疑わざるを得ません。
 

拝啓 亀山郁夫様(その4)

 投稿者:Т-34-85  投稿日:2009年 1月28日(水)16時33分25秒
返信・引用 編集済
   思うに、文学作品の紹介(翻訳)に際しては、その作者が故人である場合は特に、歴史研究の場合に底通した手法が要求される気がします。取扱う対象が、前者の場合は創作上の人物・事件、後者にあっては歴史上の実在であると云う差異はあっても、後世に残された資(史)料・記録・文献を介して対象の真相・実像に如何に真正に肉迫するかと云う事が、何れの場合に於いても翻訳者・研究者に先ず課された第一義的な課題である訳でしょう。

 そして又何れの場合も、残された資料・記録・文献の孕む蓋然性・不全性が対象像の多様性を齎します。つまり、対象の理解に際して翻訳者・研究者には解釈の自由度が許容される(NHKの大河ドラマ或いは歴史小説等が成立する所以)と云う事です。勿論この解釈の自由度が翻訳者・研究者の恣意に堕さないためには、翻訳者・研究者の側に資料・記録・文献に真摯に取組む誠実さと、同時に他を納得させる説明根拠が求められる事は論を俟ちません。
 

拝啓 亀山郁夫様(その3)

 投稿者:Т-34-85  投稿日:2009年 1月27日(火)17時41分10秒
返信・引用 編集済
   貴方が件の光文社版新訳に取組んだ時、貴方の頭の中には御自身の「カラマーゾフの兄弟」が在り、それが貴方の翻訳作業(訳文)に相当程度の影響を与えた筈です。此の事情は貴方に限らず、多かれ少なかれ他の全ての翻訳者に就いても言い得るのでしょうが、貴方の場合は特に(ドストイェフスキー研究の“世界的権威”としての自負がそうさせるのか)、NN氏等に依る検証作業に於いても指摘されている通り(例えば他の先行訳との差異と云う形で)、顕著に突出して表れていると思われます。

 愚輩には、他の先行訳者が、少なくとも言語的には、可能な限り忠実に原作品を日本語の中に再現しようと努力しているのに対比して、貴方の訳文の原作品からの乖離振りが際立ってなりません。既信にて触れた通り、貴方には勿論貴方独自の「カラマーゾフの兄弟」の世界を構築する事が許容されています。しかし、愚輩程度の露語能力を以てしても明白な誤訳箇所は論外としても、解釈或いは見解の相違と云う理屈で(問題訳を含む)自己の「カラマーゾフの兄弟」を、翻訳と称する事で、恰も原作品を提示されているが如き錯覚を読者に与える形で提示する事が許されてよいのでしょうか。少なくとも貴方は読者に対して、光文社版新訳が“亀山作”「カラマーゾフの兄弟」であると云う側面を多分に有する事に注意を喚起する誠意を示すべきではないでしょうか。
 

拝啓 亀山郁夫様(続き)

 投稿者:Т-34-85  投稿日:2009年 1月26日(月)15時17分4秒
返信・引用 編集済
   文学作品(に限らず一般に芸術作品)と云う創作物は、一旦世の中に発表された後は作者の許を離れて独り立ちする宿命を免れません。作品は広く世人(読者一人々々)の精神の内に受容されて、その中で亦、受容者毎の独自の作品世界が再展開されてゆきます。つまり、読者は作品の受容を契機として、自らが置かれた状況(或いは辿って来た人生遍歴)にも大いに影響されつつ、固有の作品像を自らの精神世界の内に再構築するのだと思います。即ち、作者自身の(本来の)原作品とは別個に、読者の数だけの作品が存在する事になるとも言われる所以です。

 この様な意味で、貴方(に限らず全ての読者)にも勿論独自の「カラマーゾフの兄弟」(より広汎に言えばドストイェフスキー)の世界を構築する事が許容されていると言えるでしょう。しかし此の場合、貴方の「カラマーゾフの兄弟」が作者自身の「カラマーゾフの兄弟」を如何程に(真正に)反映しているのかが問われなければなりません。さもなければ、「カラマーゾフの兄弟」の名の下に提示される物は、所詮作者による原作品を契機とした、貴方による再創作物に堕する危険性を常に孕む事になると思います。
 

拝啓 亀山郁夫様

 投稿者:Т-34-85  投稿日:2009年 1月25日(日)16時52分35秒
返信・引用 編集済
     Уважаемый г-н Камэяма!

   Я одно только знаю, всё-таки Вы должны быть честным человеком, тем более что Вы учёный.
   Почему Вы тайком исправили несколько ошибок своего перевода романа Ф.М.Достоевского "Братья Карамазовы" в указанных г-ном NN местах?
   Где же в таком случае находится Ваша совесть и(или) чувство чести?

   Ваш Т-34-85 из Японии
 

自然科学分野でははるかに厳格です

 投稿者:中島章利  投稿日:2008年 9月18日(木)08時41分8秒
返信・引用
  文学や社会科学、あるいは翻訳の領域においては盗作・盗用の認定が「甘い」ようですが、自然科学分野では大変厳格です。
 2006年、講談社ブルーバックスに収められていた大江秀房氏の著書『科学史から消された女性たち』、『早すぎた発見、忘れられし論文』の2点が発行・発売元である講談社から絶版・回収処分となっています。講談社BOOK倶楽部というサイトで「ブルーバックス『科学史から消された女性たち』、『早すぎた発見、忘れられし論文』について 緊急のお知らせ」と題して、次のように告知されています。

 二〇〇六年三月八日付で回収・絶版の措置をとった講談社ブルーバックス『科学史から消された女性たち』『早すぎた発見、忘られし論文』(いずれも大江秀房著)につきまして、調査の結果、最終的に内外の著作物に対する著作権上の問題を確認いたしました。著作権者の方、読者の皆様にお詫び申し上げます。なお、図書館等で継続して閲覧に供されているものに関しましては、その旨御了解ください。出版部としても真摯に反省し、このようなことが二度とないよう精進してまいります
                                     講談社ブルーバックス出版部


下記のサイトで見ることが出来ます。
http://shop.kodansha.jp/bc/books/bluebacks/oshirase.html

 『科学史から消された女性たち』については、工作社から刊行されたロンダ・シービンガー著、小川眞里子+藤岡伸子+家田貴子=訳の『科学史から消された女性たち』を邦訳題名も、内容も盗用していたというものでした。

この顛末は当事者の一人である川島慶子女史(名古屋工業大学)が「消されたのは誰か? ブルーバックス『科学史から消された女性たち』絶版・回収事件に見る現代日本」で詳細に述べられておられます。一見に値します。
http://www.kousakusha.co.jp/ISSUE/kesareta.html

 自然科学と社会科学、分野は異なりますが問題の本質は同じであるといえましょう。
 同様の問題を提起・述べている著作としてウィリアム・ブロード、ニコラスウェイド著『背信の科学者たち』(化学同人1988年。講談社ブルーバックス2006年にて再出版)や山崎茂明著『科学者の不正行為―捏造・偽造・盗用―』(丸善2002年)等が有意義です。

 これらを読むと自然科学分野ではその基準も、処分も非常に厳格であり、捏造・偽造・盗用を防ぐための国際機関さえも設置されていることが分かります。
 

かつて朝日新聞社は見識を発揮していました

 投稿者:中島章利  投稿日:2008年 9月16日(火)14時44分44秒
返信・引用
  栗原裕一郎氏の著書『<盗作>の文学史』(新曜社2008年6月刊)に次のような叙述が見られます。

5 ジャン・ジュネ全集の訳文に盗用

 1968年に新潮社から発売された『ジャン・ジュネ全集』第4巻所収の戯曲「囚人た
ち」の訳文に、発売後すぐに盗用が見つかり『朝日新聞』に報道された。
 「囚人たち」の翻訳は演出家の水田晴康が担当していたが、翻訳家の一羽昌子か
ら、一羽が1953年に雑誌『同時代』に発表した同戯曲の訳文(「死刑囚の監視」)をも
とにしているという抗議が新潮社に行ったことで発覚した。
 「水田さんの訳は、私の翻訳を盗用したというだけでなく、随所に改変を加えてい
るので、原文からも遠ざかったものになっており、私としても耐えがたい気がしまし
た」(一羽)
 水田も「これはわたしが著作権に無知なためで、申し訳ないことをした」と認めた
ため、第2刷以降、水田の訳は削られ、一羽訳に差し替えられた。

 主な資料
 「こんどは翻訳盗用」『朝日新聞』1968年4月1日付け朝刊

出典: 栗原裕一郎『<盗作>の文学史』P420-421、新曜社2008年6月刊。


 朝日新聞はかつてこのような見識を示していたわけです。私たちが現在、問題にしている光文社古典新訳文庫の森田成也訳『永続革命論』、『レーニン』にも大きな問題を投げかけるものでしょう。
 また、光文社は感想文コンクール2008をキャンペーン中で朝日新聞がその後援をしていますが、さまざまな問題点、疑問点が指摘されている亀山訳『カラマーゾフの兄弟』や野崎訳『赤と黒』のあり方に対して同社はどのような見識を示すのでしょうか?
 

製造者責任を全うしてほしいものです

 投稿者:中島章利  投稿日:2008年 8月26日(火)23時38分43秒
返信・引用 編集済
   亀山訳ドストエーフスキーの誤訳について、木下先生はこう書いておられます。(強調は中島)

「第1分冊全422頁に限っても、私達が指摘した誤訳117個所のうちわずか45個所が、3月15日の22刷までの段階でこっそり訂正されているに過ぎず、なおあとの分冊は手付かずのまま残されている。第2分冊以降の分を含めるならば、さらに何百という誤訳が想定される。」

「これまでの読者のためにも正誤表を公表する義務があるのではないか」

 後者は至極もっともな意見だと思われます。
 私はもう一歩踏み込んで意見と提案を述べます。

提案;「光文社は初版から21刷までを購入した読者に対し、希望者に対して無償で22刷以降の訂正本と交換すべきです。」

  或る自動車メーカーは不具合があった車に対して無償で整備・部品交換等の措置を講じました。また或る電器メーカーは20数年前に製造したFF式温風ファンヒーターによる事故の惧れありとしてつい最近までマスメディアを通じて製品の無償回収・交換をする旨を呼びかけていました。
 これらの措置自体は製造者として当然の責任を全うするものといえましょう。
 ひるがえって出版業界ではいかに? 誤訳は製品の欠陥にあたらないのでしょうか? 私はあたると考えます。原作を正しく伝えないのですから。

 膨大な誤訳がある亀山訳はそのごくわずかしか訂正していないし、しかもこっそりとしか行なっていないと木下先生は指摘されています。
 これは出版企業としての責任放棄ですし、先に購入した読者に対して22刷以降の訂正本購入を強いるのでしょうか? これでは読者=消費者をないがしろにするものといわれても仕方のないものでしょう。
 まして光文社は「感想文コンクール2008」を実施中です。その対象となるものに当の亀山訳『カラマーゾフの兄弟』が入っているのです。22刷より前の誤訳本にもとづいて感想文を書くはめになる読者は一体どうなるのでしょうか?

  命に関わるものではないから…などというのは詭弁です。精神的生産物はある面では物的生産物よりも長期間に渡り、しかも深い影響を与えるものです。人生をすら決定することもあるのです。とくにドストエーフスキーのような作家はなおさらのことです。
 したがって少なくとも物的生産物と同等水準の製造者責任が認められるべきではないかと考えます。そしてさらに法律的議論よりも前に道義的責任があると考えます。

 光文社が出版社としての良識を持つならば、直ちに22刷以降の訂正本を大増刷し、21刷以前の誤訳本と直ちに無償で交換すべきではないでしょうか?
  それが出来ないというのであれば、なぜ出来ないのか全国民の目に触れるようにその理由を明らかにした上で、―何しろ100万部を販売したというのですから―古典新訳文庫が配本されているすべての書店に冊子化した正誤表を配送し、「ご自由にお持ちください」の表示をして、誰もが無償で自由にもっていくことが出来るようにすべきではないでしょうか。
 

「亀山問題」その後…

 投稿者:中島章利  投稿日:2008年 8月26日(火)09時52分23秒
返信・引用 編集済
   光文社古典新訳文庫をはじめとする、亀山郁夫氏のドストエーフスキー訳について鋭い指摘と批判を述べておられる千葉大学名誉教授木下豊房先生が新たに「亀山問題の現在」と題して鋭い指摘をしておられます。またここで合わせて木下和郎氏(書店勤務)のブログ「連絡船」における亀山批判を紹介しておられます。
 木下先生によれば、光文社は10月に亀山訳『罪と罰』を新訳文庫から刊行、NHKラジオ第2放送が亀山氏によるドストエーフスキーの講義をオンエアーするとのこと。
 もたれあいはとどまる所を知らぬかのようにさえ見えますが、良識は決して黙していることはないと信じます。ぜひ木下先生の論稿をご覧下さい。
http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost128.htm
 このサイトをご覧になった皆さま、木下先生のご論稿をお読みになってのご感想、ご意見、また光文社古典文庫についてお考えになられていることなどをどしどしお寄せください。
 

帝国主義論

 投稿者:藤井一行  投稿日:2008年 8月13日(水)18時34分53秒
返信・引用
  マルクス主義やレーニン主義への関心が薄れている状況の中で、レーニンの『国家と革命』(ちくま学芸文庫)や『帝国主義論』(光文社古典新訳文庫)の新訳に挑戦する角田氏に注目していました。多くの既訳がある中で、氏の訳業はいかなる新味があるのか。大いに興味深いテーマです。
 ちかくその問題について私見をのべてみたいと思います。
 

フォーラム開設のご案内

 投稿者:中島章利  投稿日:2008年 8月13日(水)11時25分45秒
返信・引用 編集済
   光文社古典新訳文庫が出版界に旋風を巻き起こしています。「読みやすい」「分かりやすい」という声とともに、古典では従来考えられなかったような部数を販売しています。
 しかしその一方で、これは原典と似て非なるものだ、初歩的な誤訳に満ち満ちているといった声が聞かれることもまた事実です。
 私はロシア社会思想史研究者藤井一行氏と協力してトロツキーの翻訳について検討を進めてきましたが、ドストエーフスキーやスタンダールの翻訳においても無視できない問題が発生していることが明らかとなってきました。
 本フォーラムは徒に古典新訳文庫を「批判」するのではなく、そこで起こっている事実を広く世に知らせるとともに、何ものにもとらわれない自由な討論を通じて問題の本質を明らかにしたいと考えています。
 この問題に関心を持たれる多くの方々にぜひこのフォーラムに参加していただき、討論していただければありがたく存じます。
 

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